お台場まで歩いた。
夕方頃にビックサイトで色々とあるので、時間もあるし、ビックサイトまで歩いた。
もちろん都市を研究している自分にとって、歩くというのは非常に違った見方ができるし、何より"楽しい"。歩くことは楽しいんだよね。
まあお台場というか「臨海副都心」は、「東京」というパッケージ化されたコンテンツという意味で歴史的(浅いが)に重要な意味も持っていると思うし、フィールドスタディとして非常に体験する価値のある場所でもありますね。
わりと日記であり、駄文です。
都営大江戸線大門駅。
大江戸線って着工から、一気に開通開業したわけではなくて、ゆっくりと既存の線路の間を埋めるようにして出来たから結構駅のデザインに落差があったりする。この大門は比較的新しくてキレイめ。とはいうものの、何となく2000年代の走りを彷彿とさせるようなデザインではあるよね。
駅を降りて、地上にいくとこんな感じ。すぐとなり(写真では反対側)が浜松町駅と貿易センタービルがあるので本当に浜松町駅と名乗っていいんじゃないかという感じはある。
貿易センタービル。昔は先進的な感じだったんだろうけど、ポストモダンな感じがするし、今では透明な高層ビルが立ち並ぶためちょっと古めかしさもある。
貿易センタービルの西側の撮った光景。東京タワーに、六本木ヒルズ、真ん中には増上寺があって、結構この構図は好き。
前回、都営バスが運行していたお台場有明方面に向かうバス「虹01」は廃止されたという記事を書いたんだけど、実はそんなことは無くてkm(国際交通)が引き継いでいたことが発覚。僕の記事を読んで勘違いをされた方には本当に申し訳ありません。
「虹01」は「km01」に番号を変えて、「km Flower Bus」として運行されているようです。
浜松町からレインボーブリッジのほうへ向かって歩くと、首都高湾岸線に沿うように歩く感じになる。写真右手には東芝の本社があって、まあ閉鎖感あるよなあ。どうして湾岸というのは閉鎖感があるんだろう。
途中からゆりかもめに合流する感じになります。「芝浦ふ頭」や「日の出」はこのあたり。どうもkmフラワーバスは僕の歩いたルートをそのまま運行しているようです。
こう、なんか。マフィアが出てきそうな感じ。
空虚だよね。哀しいよね。悲しいじゃなくて、哀しい。どうしてだろう、これはアレか村上春樹の「風の歌を聴け」を読めと言っているのか。
本当に何も無いんだよなあ。
ゆりかもめ、芝浦ふ頭駅。左の模様は駅ごとによって異なることはわりと有名。これはきっと、埋立地という何もないところに物語(=アイデンティティ)を無理やり押し込んだ形だと僕は思っている。
ゆりかもめ。なんか物哀しいんだよ。もう時代にそぐわない。90年代、2000年代の遺産になってしまったような気がする。この哀しさ、北原白秋の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよふ」ぐらいの哀しさがある。
レインボーブリッジが見えてきた。
はあ、なんだこれ。80,90年代の日本の「レジャー」感を持って来た、この看板はいったい。
すごい。ジャンクションヲタにはたまんないよな、これ。
碧い。
ここから上にあがって、遊歩道を歩く感じ。
車と風とゆりかもめがゴオゴオうるさかった。
眺めは悪くない。しかし、ただただ、碧い。哀しいよな。こういう歴史のない場所って。
今回はノースルートを歩いた。
まあざっと20分弱歩いたかな。
そしてお台場の要塞フジテレビだ。13号埋立地計画は失敗に終わったといってよい。ここには〈物語〉がない。
さみしい。なぜだろう。
なんでお台場はここまで取り残された場所になったのか。
嘆きつつビックサイトへ向かうと、kmフラワーバスを発見。これが浜松町〜お台場〜東京ビッグサイト〜国際展示場駅の間を運行するバスです。さわやかでいい感じ。
ビーナスフォート。青海エリアである。まあ、行ってもなんもないよ。
ビーナスフォートを抜けると青海駅がある。辺りを見渡すと王子製紙の倉庫だったり、テレコムセンターだったり、ビックサイトが一望できる。実際は、海しか見えないけどな。
思い出補正もあるんだろうけど、2004,5年、小学5,6年生の頃が一番わくわくした時期だった。テクノロジーは常に希望を与えてくれて、何もかもが素晴らしい時期だった(ように思えた)のである。
この話を人には何べんも言っているので、割愛するけど、この時期に「電車男」というドラマがあった。2chもブーム絶頂という感じであり、匿名掲示板2ちゃんねるのスレッドに見立てたドラマ仕立ての物語がブームだったのである。そのドラマのワンシーンでコミックキングダムという同人即売会にサチケを忘れて出店できず、渋々外で電車男とそのツレが野外で出展物wp売るというワケワカメな展開がある。その場所がここだった。
なんとなく、既視感を感じて、懐かしかったのでデジカメ固定させて撮った。ああ懐かしい、それだけ。キモいでしょ。
もうそろそろビックサイトに着く。なんだか、ゆりかもめのホームの屋根は猫っぽいなあ。
ところで余談だけど、この青海駅からビックサイトへ向かう道は懐かしい。というのも2009年の冬、魔法陣グルグルに触発され、高校生ながら初めてコミケに行ってみようと思った。どう行けばよいのか分からず、なぜか東京テレポートで降りて、青海駅を抜け、この道を電車男と言わんばかりのオタクたちとすれ違うようにビックサイトへ向かったのである。15時ぐらいの時だった。その頃、僕はなーんにもわかってなかった。それが良かったのだ。まさに青春である。戻れるなら戻りたいし、カメラ持っていけば良かったと本当に後悔。
そしてビッグサイトに到着だ。まさにフジテレビのビル同様にポストモダンを先行したデザインである。未来はこうなるであろうと言った予測から作られたようなものだ。高度経済成長期に東京が夢見たユートピアだったのだ。開拓であった。
しかし、それらデザインは今も変わらず異質性を帯びている気がしてならない。歴史に裏付けされた街ではないからだ。そのには、何かあたたかみのある土壌がない。ただただ空虚しかないのである。なぜポストモダンのデザインとして、フィリップ・スタルクの
ああ、哀しいなあ。2時間近く海風に当たりながら歩いて、哀しい哀しいしか言ってない。
でも、それは間違いではない。臨海副都心は「見捨てられた」土地なんだと思う。孤高で独立したものになっている。東京は彼らを助けなきゃいけない、そんな気がしたんだ。
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