2013年4月17日水曜日

否定は思考を停止する、これは間違いないと思う

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もっと広く、享受していこうよ。


決してタイトルは〈自己啓発本〉的なイメージで決めた訳じゃないよ!これは本当の話だろうと思ったので、素直に書きました。もちろん印象論なので、あーこの娘言っていることアホだぞ…と思うのであれば、それはそれでも構いません。が、ただそういう生き方は損するんじゃないのって話。


私は路線図が好きで、巷にあるサインやピクトグラムに興味があります。サインとは現代社会にとって無くてはならないもの。いつも公共施設など記号と共に私たちの生活はあります。実は現在の大学もそれの研究がしたくて入ったのです。広義的に言えば「広告とコミュニケーション」そういう類の研究でしょうか。

実は先日、大学の上級生と話す機会があったのです。

「みずえちゃんってぇ〜、どんなことが好きなの?」

と聞かれたので

「私は路線図やサインシステムに興味があります。その研究とかしたくてこの学部に入ったもんなんですよ〜」

「え?路線図?変わってるねー。よく周りに変わってるって言われない?」

「まあ、そういう人あまり居ないとは思いますけど、でも!大学入って路線図好きだったりとか、高速道路の緑の看板が好きだったりとかそういう子けっこういますよ。ゼロパーゼロが出してるおしゃれなアートとかあったりしますし」

「…嘘だね。そんな女の子いるわけないよ。どうせ方便だって、絶対!絶対にね!!!」



こんな感じで、まるで『ひぐらしのなく頃に』のレナちゃんかよ…と思うぐらいグサッとくるように答えがかえってきたので、私は一瞬「何事!?」と心のなかでびっくりしました。何か過去に嫌な出来事があったかのように、完全に否定されたわけですが(もちろん印象ですが)、こういう接し方はあまり気持ちのいいものではありません。


なぜ否定は良くないのか


私も色々と過去に経験をし、内省することがあって、何の根拠もなく否定することは阿呆らしいと思うようになったのですが、根拠のない否定というのは非常に子供じみたもので何も生み出しません。批判的思考とも異なります。

言いたいのは、無駄なものなんて何もないということなんです。例えばサインシステムにしても、他人が研究を志すことを全否定すれば、過去に携わってきた学者を否定することにもなりかねません。サインシステムで有名な学者やデザイナーといえば赤瀬達三や村越愛策などが挙げられますが、彼らのお陰で私たちは迷宮な新宿駅を歩くことができるし、どの公共施設にしてもサインを辿ることで効率よく正しい方向に進むことができます。

サインシステムを好きな人を否定するのであれば、あなたがいつも利用している鉄道や交通機関のサインは無くても良いと言っているものだと思います。もちろん彼女は、サインシステムを否定しているのではなく、私を否定するつもりだったのかもしれませんが…。

今生きている世界、どのモノでも、それがあるのはそれが好きな人がいるからであり、そうじゃなくてもそれに向かって努力している人がいるわけです。その人の好きなものを否定することはその存在を否定するのと同義であっても私はいいと思います。


でも、その人の関わっている、好奇心を示している分野や領域って実は私たち実生活を成り立たせていることが多いわけで、拒絶しようとするのは非常にもったいない。その人の話を聞いて、否定しようとせず、やり過ごすべきだと思うんです。――ああ世の中にはこういう人いるんだなあ、という感じに享受しようょぅ。

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